935年に紀貫之(きのつらゆき)が書いた日記として知られるのは次のうちどちら?
A:土佐日記(とさにっき)
B:蜻蛉日記(かげろうにっき)
答え:A
紀貫之(きのつらゆき)は、平安前期に活躍した歌人で、
漢詩文にも優れていた人物です。
930年以来、土佐守(とさのかみ)であった紀貫之は、
後任者に仕事を引き継いだ後、55日間の船旅をします。
土佐日記は、その旅日記と言えるもので、
土佐守という公的な立場を離れて、プライベートな立場で綴っています。
旅の記録はもちろんですが、
亡くなった子供のこと、和歌の批評、社会風刺など、さまざまな話題に及んでいます。
特徴的なのはその文体です。
それまで、男性が書く日記は漢文体で書くものとされていました。
しかし、紀貫之は女性の立場で、仮名文を使って書いているのです。
有名な書き出し文、
「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」は
仮名文を書く女性であることを表すために書かれた文章でもあるのですね。
土佐日記は「具注歴(ぐちゅうれき)」にメモを書いたことから始まったと言われています。
具注歴は、今でいう手帳のようなもの。
まさに、日記として書かれたのが始まりなのですね。
最近は、個人でも旅行日記、旅行記をつけるのが流行している気がします。
旅行用のノートも販売されていますね。
旅に出ると何か書き留めたくなるのは人間の性なのでしょうか。
紀貫之は、今の流行をずいぶん早くに実践していたのかもしれません。
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